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甘々、デレデレ、女の子。
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最近、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を読んでいたんですが、ボルヘス調の書き出しにふと懐かしくなって、さっきまで『伝奇集』を再読してました。昔は一冊の本を読み終えるまで、違う本に手を出すことはなかったんですが、すっかり悪癖がつきました。

ボルヘスの作品に頻出する主題は、あらゆる現象や出来事というのは、無限に近い可能性のたった一通りでしかないということだと思いますが、そのことが殊の外、顕著に描かれるのが、「バベルの図書館」でしょう。

「バベルの図書館」の主人公は、この世で存在し得るすべての文字の組み合わせを羅列した本が無数に所蔵してある図書館の司書という設定で、ほとんど無限にある意味をなさない本から、ほんの一握りの意味のある本を探し出すことの苦悩と挫折が描かれますが、この図書館と司書の関係は、現代と現代人の関係に似ているような気がします。

昔の農村のように、人の意識に於いてもツールの限界に於いても閉塞せざるを得ない状況で、自身の身の回りの情報が、すなわち、自身が知るべき情報であるといったことは現代では当然、成り立たなくなっています。現代では、テレビやインターネットなどを通じて、日々、大量の情報が日常に流れ込んで来ますし、しかもその情報は、ほとんど無限で、しかも個人にとって直接的な意味を持つものは、ほとんどありません。

以前は知る由もなかった世界の膨大さが、ツールの発展によって顕在化しても、それに対峙する人間の能力が今も昔もさほど変わらないのが問題で、目の前にある情報の束を自身の限界によって扱いきれないというのは、認知しているからこそ、酷な話です。

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