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仕事とかではなく、ただの観光だったんですが、非常に楽しかったです。本当にいい経験でした。
むこうでは、基本的に明方から夕方まで寝て、夜は輝くストリップ通りをぶらぶら散策する生活を送ってました。このストリップ通りというのは、近年のラスベガスの華であって、例えば、ベラージオやシーザス・パレスなどの有名なホテルが立ち並ぶ豪華な大通りなんですが、そこでフリーアトラクションを見たり、カジノに入ってポールダンスしている女の子の写真を撮ったり、ちまちま賭けて、結局全額スッタリしていたわけです。
でもその中でも特に長い時間過ごしたのはフラミンゴというホテルで、このホテルは、僕の泊っていたインペリアル・パレスの真横に位置していたことと、日本でよく行くお店と名前が一緒だったということもあって、歩き疲れてはここのカジノで休憩してました。なんとはなしに愛着が湧いてしまって。
旅行自体はこのように楽しかったんですが、にしてもアメリカの、あるいはアメリカ人にはうんざりです。どこの航空会社とは言いませんが、乱暴な積み込みでスーツケースは壊れるし、土壇場になって航空券は出てこないし、謝罪にもらう小切手は辺鄙な場所の銀行でしか換金できないし。でたらめというか、汚いというか。
いや、僕の話ではないんですけどね。実際に目の当たりにしたり、聞いたりした話なんですけど。
3LDKにこの話をすると、「そんなもんでいいんだよ。日本人が神経質すぎるし、だから、過労でたくさんの人が死んじまうんだよ」と言ってましたが、彼の言うことも十分分かった上で、やっぱり日本の在り方がいいやと僕なんかは思います。まだまだ「日本」に囚われているんですね、僕は。
まあそんなこんなで、いろいろ納得できないことはありましたが、それでも十分楽しめましたし、帰ってきた今も機会があればまた行ってみたいと思ってます。ただ、ラスベガスそのものもラスベガスに行って帰ってくるにも非常な体力を必要とするので、次回行くのはずいぶんと先になりそうです。そもそも機会と資金がありませんし。
みなさんもラスベガスに行かれてみてはいかがですか。
燦燦と輝くネオンと欲望に塗れた喧騒があなたの安眠を許さないあの町に。
「メルクマール」なんて言葉はじめて出会いました。
彼はほんとに文章を書いたり話をしたりということがうまい人です。
それはさておき、彼がGWで短期連載を開始する前、僕が月一で書いていた「なごみちゃんシリーズ」の4月の更新が無かったことを皆さんは御存じでしょうか。
あらゆる人々にとって非常にどうでもいいことなので、気付いてた人間は多分僕一人だと思います。
かつて自ら月一更新を宣言した手前、書かねば書かねばと思ってはいたのですが、四月後半が妙に忙しく気付けば五月に入ってしまったという結末で、第一話から継続していた一カ月一話の連載はあっけなく途切れてしまいました。
振り返ってみると、第六話まで書いたのでなんだかんだで半年間続けていたことになります。
僕の思いつきにしてはずいぶんともった方ですが、それでもせめて一年ぐらいは続けたかったですね。
ただ、なかなか書けなかった理由の一つは何を隠そうネタ切れでありまして。
あの手の文章は元ネタが在る分考えやすいはずなのですが、うまくインスピレーションに引っ掛かるものが無いと、どの道書き続けるのは難しいですね。
書き始めた当初考えていたお話はすでに出尽くし、残るストックはクライマックスのみなので、続けて行くにはネタの収集が必要になってきそうです。
ちまちま日本神話に関係する本を読んでみたりするのですが、ネタ探しというよりただの読書に終わってしまい、楽しいくも目的を果たせない時間を過ごしてしまいます。
無理に書くものでもないのですが、僕自身もう少し話数を重ねてエンディングへ向かいたいと考えているので、12話ぐらいまで書ければなぁと思っています。
ネタ集めにも時間がかかりそうですし、夏の原稿も手をつけたいのでもしかするとなごみちゃんはしばらくお休みするかもしれませんが、せめてこのブログに載せている短文形式のモノは完結させたいですね。
実際にちゃんとした作品としても書いていきたですしね。
まぁ誰も待っていないと思うので気長にゆっくり書いていきたいと思います。
まだ僕の人生はしばらく続くはずなので……。
というわけで今日のキーワードは「微分演算子」です。
当初は、せっかくの休みだし、しばらく更新してなかったから少し頑張るかという程度で書き始めたんですが、三日目ぐらいから意識し始め、どうせここまで書いたんだから、ゴールデン・ウィークは毎日更新してやるかと思い、なんとか今日までこぎ着けたという感じです。
今日は、森鴎外の『高瀬舟』に触れてから、夏コミに向けて執筆中の作品の概要をさらりと紹介しておきたいと思います。もしかしたら、変更するかもしれないんですけど。
『高瀬舟』は、一般に「安楽死」について取り上げた作品だと紹介されますが、実は、「安楽死」は作品の中のメルクマールでしかなく、その主題は、人の意識というものです。
庄兵衛は、どのような環境でも生きていこうとする喜助を「足ることを知る」人間だと表現するわけですが、これはどうもしっくりきません。「足ることを知る」というより、足りているのか、足りないのか、そういうことを考えもしない人間だと感じます。もちろん、「知っている」ことも能力ですから、端からそういうものを持ち合わせていない無能力者と定義してよいでしょう。そう考えると、弟を救えなかった喜助が、庄兵衛に未来の展望を話す際の不謹慎な無邪気さもうなずけます。
鴎外は、12歳で医学部に入り、国費留学までしているインテリですから、おそらくこうした喜助のような無意識に憧れがあったんではないでしょうか。自分はどうしたって、身の振り方や、将来のこと、あらゆることを意識せざれるをえない。この性質から逃れることは絶対に出来ない。鴎外は始終これを嫌悪していのかもしれない。
その憧れの裏返しが、鴎外自身のよくわからなさを作り出しているように思います。
ここからは、僕の作品についてですが、このように意識をしてしまう人間が、無意識に回帰することは絶対に不可能で、ならそうした人間が、どのように生きていけばいいのかということは重大な問題です。実は、今作では割と自分のことを取り上げていますが、おそらく、現代人の多くも同じような悩みを持っているんではないかと思います。
冬コミで発表した前作と同様に、今作でも「閉じられた場」を表現してます。タイトルは関連しないものをつけるつもりですが、『ある限定された空間の中で』の連作と捉えてもらって結構です。内容と文体は、だいぶ違うんですが。
明日から、また多忙な日々が続きます。本当にうんざりしますが、受け入れるしかないんでしょうね。
ということで、明日からは、また更新が滞ろうと思います。申し訳ないんですが。
その輝ける七日間の疾走は、大沈黙の予兆です。
三島由紀夫との出会いは、もうずいぶん前のことになります。
僕は、三島の硬派な文体を読み切るだけの訓練を十分積んでから、『仮面の告白』から『豊饒の海』までの主要な作品を読んでいったわけですが、そのように肩肘張っていたせいで、それらの作品が如何に素晴らしく、傑作の連続であるかなんて感じる余裕がありませんでした。
最近、三島をまた読み返して、その思いは一層強くなっています。ただ、残念に思うと同時に、あの頃分からなかった作品の面白みを時を経てから発見することは、やはり、嬉しいことです。
当初僕は、『仮面の告白』が一番好きな作品でしたが、こうして読み返してみるとやはり『金閣寺』という感じがします。『豊饒の海―奔馬』もやはり好きです。
再読するだけでなく、まだ未読の作品にも手を伸ばして、2月の末に『絹と明察』を読んだんですが、作中の駒沢善次郎の善性というのは、確固として存在していて、それは偽りではないんですが、ただ、その善性自体が悪であるというところが、職場の上司によく似ています。岡崎はそこを容赦なく弾劾するわけですが。
そういえば、今年はちょうど没後40年になるんですね。三島自身が主演した映画『憂国』が別巻に収録されてる全集の第一巻配本から10年と考えると時が経つのは早いものですね。
ちなみに『憂国』の割腹シーンで腹から出てくる内臓がバナナにしか見えないんですが、僕だけですかね。
今、三島が自衛隊員を集めて行ったクーデターの映像を再度見てみたんですが、(こちらhttp://www.youtube.com/watch?v=bprGPmEwiw0&feature=related)あれだけ、美しい文章を書き続けた三島の最後の言葉が、汚い野次に塗れ、しかもそれ自体が非常にたどたどしいものであったことは、三島自身が痛切に感じた時代との乖離を物語っているようです。何度見ても、むなしい、そして悲しい気持ちになります。
この後、クーデターが失敗したことを悟った三島は、予定調和として、割腹自殺を遂げるわけですが、後を追った森田必勝はともかくとして、森田を介錯した人間は、果たして殺人の罪に問われるのか、以前から疑問です。自殺幇助とかになるんでしょうか。
先程、シャワーを浴びて浴室から出たときに、室内の気温が非常に心地よくて、今までぶるぶる震えながら素早く体を拭いて、急いで服を着ていた時とは大違いです。
今も部屋の窓を開けて、文章を書いていますが、四月の冬の怨念のような気候から逃れて、風は、やっと春の準備を整えたようです。
こういう天気が一年中続けばいいんですけどね。そのうち、梅雨と夏が来ると思うと、ぞっとしてしまいます。
僕は、以前、収穫に「現代人にとって、雨に濡れることと汗をかくことは、もはや、間違ったことじゃないか」と話したことがあるんですが、これだけ文明が発達して、未だにその困難から人間が逃れ得ないことが、おかしなことだと感じるんです。その要因となる季節が、これから連続して到来してくるなんて、正直勘弁してほしいです。
あと、秋は、好きなので構わないんですが、僕の最大の敵は、やはり冬です。
子供の頃は好きな季節でした。もちろん寒いのは嫌なんですが、肺に含む冷たい空気が、自分を清めてくれるようで、なんだか自分が生まれ変わっていくような気がしていました。あと雪が降れば、高揚し、グラウンドでみんなで雪で遊んだり、逆にストーブの前にずっと座って、アイス食べたりと結構いい思い出がありました。
実は、その感覚は、去年まで僕を捉えて、昔みたいに好きとは言わないですが、特に嫌いだと思っていなかったんですが、夏にこの部屋に引っ越して、たった一回の冬を迎えただけで、その思いは、バラバラに瓦解してしましました。
僕の部屋は、一人暮らしにしては比較的広く、しかも設置されてるエアコンが割と古めということで、部屋が全く暖かくならなかったんです。友人が部屋に遊びに来るたびに、もうすでに電源を入れてるのに、「ねぇ、寒いから暖房つけて」と言われ、友人は、泊るたびに体調が悪くなっていきました(僕は電気毛布でしのぎ、友人用はなかった)。あと設定では、部屋が暖まるかどうか関係なく、ガンガンに暖房つけていることになっていますから、光熱費も信じられないくらい請求されて、もう散々でした。
僕は、その頃、「悪魔よ、私と契約しろ。この部屋を暖めるためなら、お前が望むものを差し出そう」と唱えてました。ただ僕が契約したかったのは、デーモンやサタンというより、マクスウェルの悪魔です。
今日は、朝とも昼とも言われぬ時間に起き、いつもの通り、呆けた頭を抱えながら、タバコを吸っている内にふと小林秀雄について書きたくなった。もちろん私は、小林の著作を全部読んでいるわけではないし、思想についても不勉強である。さすれば、私が今から書くことは、小林についての漠とした印象であり、そこに核心に迫る鋭い考察や、新たな意見など到底見出すことなど不可能である。私が書くのは、小林というより、私の周辺の小林ともいうべきものである。
と、書いてみたものの、別に今日は難しいことではありません。第一、そんなこと出来ませんし。
大学に小林秀雄の研究をしている人がいるんですが、なんというか、意味あるのかなと思ってしまいます。
別に小林秀雄の思想なんぞ研究に値しないと言ってるわけはなく、ただ、そこに何らかの普遍性を獲得できるのか疑問なだけです。
僕自身、結局、小林秀雄は小林秀雄であって、小林秀雄は小林秀雄であったからこそ、小林秀雄なんだと思うわけです。
この感覚は、僕だけのものなのかなぁ。。。
小林の文章を読むと、例えば、『モオツァルト』にしたって、『ドストエスフキイの生活』にしたって、「小林はこういうふうに考えるのか」としか思わないわけです。それが正しいとか、間違ってるとか、なるほどとか、いや、馬鹿げているとかそういう感情が全く生まれてこないわけです。
こういう風に書くと、小林の文章には魅力がないように伝わってしまいますが、僕が言いたいのは、そういうことではなく、もはや、良いとか悪いとかの次元を超越して、ただそこに力が宿っているということです。
小林は、ただ一人で、芸術に対峙し、その作品にしか意識を傾けなかった。自身と作品が抜き差しならない距離で向かい合い、両者の間に生まれる緊張こそが批評の醍醐味だと考えた。だから、結局のところ、小林にとって、読者なんか二の次だったわけです。この点が小林秀雄の凄みです。
そんな小林の前では、どれだけ正しい意見であっても、やっかみにしかならないと僕は思うんです。これ、すごくおかしな話ですけど。
歴史を振り返れば、過去の哲学者や思想家たち同様に、ひたすら我が道を行き、考えに考え連ねてきたはずですが、なぜ、小林だけ贔屓してしまうかというと、それは、小林の文章が説得的でなく、溢れ出るレトリックは一見難解だが、その動機には、子供が何か楽しいことを話すときのような無邪気を感じてしまうからだと思います。その際、当然として、排他的であるとも言えます。
だから、研究は出来るんでしょうけど、意味あるのかなと。どちらかというと、小林秀雄はそっとしてやればいいのに、という僕の希望がそう言わせてるのかもしれませんが。
にしても、白州信哉は、大変だったろうな。おじいちゃん家が、白州家と小林家なんて。
僕は、数年前から、「Sは努力、Мは才能」だと考えているんですが、彼らは努力もしていないし、ましてや才能もあるわけではない。ただのファッションとして言ってるだけでしょう。最近何かと、「サムライ」をつけたがるジャーナリズムのようです。
М性の基本原理は、No pain,no gain.つまり痛みなくして得るものはない。精神的、肉体的な苦痛でしか快楽を得られない特殊な人達が、Мなわけです。そういう人間は、「痛いのは、嫌」なんて絶対言わないはずですよね。そう考えると、大抵の人間は、普通なわけで、なら「どちらでもありません。普通です」と言えば、いいんですが、何者でもない、どこにでもいる自分というのをなかなか現代人は受け入れられないですよね。よく自分は、「変態」だという人間も同様です。
逃れられない性質が厳然と身の内にあって、「本当は、嫌だし、もし可能なら生まれ変わりたいんだけど、でも、私はこういう風にしか生きられない」というネガティブなアイデンティティの獲得に僕は憧れます。これは、SとかМとかそういったもの以外にも広く適用される話です。
村上春樹は、『ノルウェイの森』で、その逃れられない自分というのを、「地獄」と呼んでいますが、ぴったりな表現です。
さて、ここまで批判的な態度をとっていましたが、実を言うと、僕は、SとかМとか言い合っているのが、さほど嫌いではありません。それによって、コミュニケーションが円滑に進み、結果として、周りとの連携がもたらされるなのなら構わないのではないか、と思うわけです。
血液型の話もそういった点で評価しますが、ただ やはり、俗説は俗説でしかなく、真実は依然として雲の上にあって、その威光を忘れてはいけないし、俗説に塗れるほど、雲は分厚くなり、いつしかどれほど手を伸ばしても、真実を手に入れられなくなるということでしょう。
そういうこと自体をわかっていないのが、一番の問題ですが。