[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ついに、明日から冬コミですね。
LLLの参加は31日ですが、徐々にテンションが上がってきてます。
というわけで、以前にも書いたんですが、31日に持って行く本について簡単に告知しておきます。
ちなみに、スペースは 東3 "ク" 09b です。
・A5 52ページ 500円
・3LDK 漫画
・Oz 小説
・万感 小説
・収穫番長 小説
という感じです。
え? 文字ばっかりで漫画が少ない?
――き、気のせいですよ、きっと。
ちなみに、個人的には、このサークルの最初のコンセプト「甘々、デレデレ、女の子」をテーマに書いたつもりです。
他の3人の内容に関しては、各人が更新してくれると思うので語りますまい。
ところで、少し前からこのブログへのアクセスが増加してる気がするんですが、やっぱりコミケが近づいてきたからでしょうか? CD-ROMカタログから来てる気が……。
もし暇な人がいたら、そのあたりのことをコメント欄にでも書き込んでくれると嬉しいです。
《今日の一言》
百文を以て一見を凌駕する、それが作家だよ。 ――Oz(口だけ星人)
現在、万感の家に厄介になっています
世話になる分、家事をします
今日も彼の帰宅に合わせてご飯を作ったりしました
専業主婦ってこんな感じなんでしょうか
人にご飯を食べてもらうのは緊張するものの
おいしいと言われたときはやはり嬉しいものです
明日も何か作るのですが、今から緊張してしまいます
余程のことがない限り、まずいものなんてのはできないはずなんですが
それでも不安になるものはなるのです
自分の味覚が絶対だとは言えないし
味の好みの問題もありますし
不安材料はいくらでもあるわけです
それでも作るしかないのですけれども
不安を抱えながらも作るしかないという点で
創作と料理は似ているかもしれない
と書いたものの料理は創作であるので似ていて当然
というか創作に料理が含まれているので
料理にそういう面があるのは当たり前なのか
しかも料理はレシピなどのハウツーが豊富だし
絵や文の好みと違って、味の好みはそこまで違わないし
うん、何となく不安が消えてきた
それでも多分食べてもらうときに緊張はするだろうけど
「精霊の守り人」は不遇の運命に立たされた皇族の少年チャグムと彼を守ることになった三十路用心棒バルサの物語です。
僕がこの作品に出会ったのは中学生の頃でしたが、子供が読んでも大人が読んでも、それぞれの立場から楽しめる作品だと思います。今でも時々読み返したりしています。
彼女は民俗学の研究もしているらしく、作品のそこかしこにその経験が生かされているのは、読んでみるとよくわかります。
世界観をはじめ、物語の中で描かれる人々の暮らしや彼らの生きる社会の構造なんかは、彼女が取り組んでいる研究のエッセンスが如実にじみ出ている部分ではないでしょうか。
特に食べ物の描写が僕のお気に入りで、思わず食べたくなってしまいます。
出てくる食べ物のたいていが想像上の食べ物で、その作りや味をすべて文章で伝えなくてはならないのですが、見事にそれをやりきっている辺りが、プロの物書きの実力なんだと感じます。
守り人シリーズは初期三部作と虚空の旅人しか読んでいないので、いずれほかの作品も読んでみたいてすね。
というわけで今日のキーワードは「不織布三層構造」です。
僕はもともと飲み会なんかでも大体ビールばっかり飲んでいるようなやつで、ほかのお酒と言ったらたまにカクテルを飲むくらいのものでした。
ただ、一か月ほど前に友人に出羽桜という山形の地酒を飲ませてもらってたのですが、それがとてもおいしかったんです。それ以来、どうも日本酒が気になるようになって、飲む機会があれば意識的に飲むようになりました。
年末年始の帰省のお土産にと日本酒を買ったのは半分以上自分が飲みたいからです。
奮発して結構いい値の銘柄を買ったので飲むのが楽しみです。
ちなみに誰と飲むかと言うと、第一候補は親父なのですが、LLLのメンバーとも杯を交わしたいと思っています。
30日にコミックマーケットの前夜祭といった感じでOzの家に集まることになっているので。
残すところあと一週間。楽しみです。
というわけで今日のキーワードは「友を信じず、何を信じるというのだ」です。
で、その用事というのは、西荻窪であったのですが、久しぶりにあの町に行って、最近の僕では考えられないぐらい昂揚してしまいました。新宿の喧噪を逃れて乗り込んだ総武線! 窓から移りゆく町並みに蘇る帰路の幸福! 見慣れたホームに降り立った刹那! どれもが満足で、改札前の階段を降りていくときは、覚えず、にやにやしてました。周りから見たら、さぞ気持ち悪かったろう(笑)。
何でそんなことになったかというと、実は、西荻窪には、去年の春から今年の夏まで一年と数ヶ月、住んでいたんです。引っ越しは避けられないものだったんですが、大好きだった西荻窪から、今住んでいる、洗練された汚さを持つ町に来てしまったという悲しみが、一気に溢れ出たんだと思います。
――そして、用事を済ませた僕に残された時間はもうなかった。僕は、次の用事のために別の場所に向かわなければならなかった。名残惜しさに重くなる足をどうにか車内にまで運び、「西荻窪、僕はいつか、また絶対に来るから」と呟いた。電車はゆっくりと西荻窪から離れて行った。
万感の日記を受けて多少書いておこうか
僕が言いたいのはビッグネームのゲームが盲目的に売れてしまって
良いゲームが評価されないのは間違ってるってことにつきる
そしてその状態は日本のゲームを滅ぼしてしまうと思う
何が良いゲームかってのはもちろん好みによるのだけど
消費者が全部のゲームを把握しているわけではないのが問題で
理想を言えば全部のゲームを体験してから評価するべきなのだけどそれはなかなかに厳しい
でも出来るだけ多くのゲームに触れさせるようには出来て
そのためには何とか通とかの当てにならないレビューとかではなく
海外のレビューのような概ね正確なレビューをもっと浸透させるべきだと思う
他にもシステムの具体的な改善案とかあるのだけど
万感の日記に文句を言いたいのは、そのときの会話でビジョンを示したことです
ちゃんと言ったじゃないかーって言いたい
まあ、ゲームのことは抗議もしたしこの辺にしとこう
この前ラピュタのこと、というかムスカのことを書いたんですが
今回はパズーとシータについて書きたいと思う
パズーとシータはラピュタのときが人生の絶頂期だったと思うんですよ
ラピュタから降りて地上でまた暮らし始めるじゃないですか
パズーとシータはまずシータの故郷に行ったり
炭鉱で働いて主人公補正でそれなりに成功したり
イベントはそれなりにあると思うんですが
人生において一番盛り上がったのは、あの冒険だと思うです
だから彼らはよく「あの頃はよかったなあ」なんて懐古するんじゃないかと
いや、パズーとかシータの性格ならそんなことも思いもせず楽しくやるのかな
あれ、そんな気がしてきた
ほんとはパズーとシータの絶頂期は早すぎたって妄想を書こうと思ってたんだけど
案外彼らは普通にやっていきそうだな
そっちの方が幸せだからそれでいいや
この話題はこれでおわりー
というかネタがないので今回はこんな感じでおわりです><
以前日記にも書いたポケパークなんですが、とてつもない楽しさです。
全体の流れとしては「ピカチュウを操っていろいろなポケモンとともだちになる」というゲームなのですが、進めていくにつれ「ウソッキーがあそびにきた」や「カイリキーがおんせんにはいりにきた」といったメッセージとともに登場するポケモンがどんどん増えていくんです。
そしていつしかポケパークはポケモンだらけに!!
赤・緑のころからのポケモンファンの僕にとっては、3Dのポケモンたちが画面内を所狭しと動き回っているのを見るだけでもう大興奮です。
かわいい!かっこいい!たのしい!
もうおなかいっぱいです。
読み込み中のピカチュウのアクションがほんとにかわいいんですよね。
クチートもキュートだし、ドダイトスはかっこいいし。
しあわせです。
というわけで今日のキーワードは「ニュンガ・ロ・イム」です。