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しばらく前に書きましたが、予定通り、FF13プレイ中です。
既にクリアした人もいるようですが、僕は、今のところプレイ時間が20時間程で、シナリオ進行でいうと中盤ぐらいでしょうか。
ということで、今日はプレイの感想でも書こうと思ったんですが、以前から3LDKと続けていたFF13をめぐる論争で感じたことの方に興味を覚えたので、そちらを書きます。
僕はあまりゲームをしない方で、分類としては、ライトユーザー層にも入らないんじゃないかと思うんですが、3LDKの方はというと、僕からすれば信じられないぐらいゲームをやっていて、当然でしょうけど、作品のクオリティにもうるさいです。彼に言わせれば、「そうでもない」んでしょうけど。
FF13に対しても同様で、「こんなゲームを楽しめるなんて、理解できん」と先程も呟いていましたが、彼の根っこには、もっと面白いゲーム、クオリティの高いゲームなんていくらでもあるのに、なんでみんなそれをやらないんだ、という親切であるのは間違いなく、その親切が実らない歯痒さ故の腹立たしさは理解できますが、では結局、その面白い、クオリティが高いというのは、一体誰が決めることなんでしょう。
彼はよく「好みによる」と言うんですが、ある作品に対しての好き、嫌いという選択肢は、彼が言うようにみんなが普遍的に持ちうるもので、その集計が結局は販売本数に結びついてくるでしょう。なら、販売本数が多い順に面白い作品、クオリティの高い作品ということになるはずですが。……
勿論、そんなことはありませんよね。
誰よりもそれを否定したのが、彼ですし。
彼と付き合ってきて分かったのは、議論をするときの彼と僕との立場が、ハイブロウ層対大衆層になるということで、そういった関係の典型ですが、前者は後者の無能力を理解せず、苛立ち、蔑む。一方後者は前者のペダンチズムに反感し、その存在を無視する。今回では、ヘビーユーザー層とライトユーザー層ということになりますが。
そうした状況を打開するには、前者からの働きかけとして、いかに後者を自分たちのステージに引き上げるかということで、決して彼のように「クソゲーばっかしやがって」と言うだけではいけないはずでしょう。素晴らしいソフトをみんなが出来るようにするシステムのビジョンを示すべきです、少なくとも僕には。
かといって、そういう風に上位の層に下位の層が組み込まれたとしても、新たな階層化は始まるでしょうし、もし仮にうまく組み込めたとしても、権力がスムーズに波及しただけで、本当に正しいことなのかどうかは議論しないといけないでしょう。なんとなくフーコー的になりましたが。
というわけで、全然まとまらないまま終わりますが、最後にこれだけは言っておかないといけないのは、僕は、決して、彼と仲が悪い訳ではありません(笑)。今日は一方的に都合の良いように書きましたが、彼からも何かメッセージがあるかもしれませんね。
ある絵師のサイトは、よくページが真っ白になる
僕はそれが彼の鬱から来るものだと思っていたが
今日見たら復活していて
更新内容を見るにやはりそれが原因なのではないかなぁと思った
一区切りついたようで何より
好きなサイトが復活するのは嬉しいものです
彼の絵はストレスをぶちまけたような、昇華というか
そんな絵が多いので好きです
どこのサイトかは書かないけどね!
何が言いたいかっていうとマメに更新しようと思いましたっていうこと
そんなわけで更新の話
もう20日近く更新が続いてます、すげえ
自分あんまり書いてなくね? と思ってカウントしてみた
今月18日までの分
Oz:5 収穫:5 万感:5 僕:3
...Oh
僕だけ少ないのです
今日書くので5554となるわけですが
むむむ、なんだかサボってる感があります
ま、まあ今月だけだよね?
と思ってブログを始めてからのをカウント
全51件中
Oz:16 収穫:14 万感:11 僕:10
おっおおおおうあああえええああああ!!!!1!!
一番少ないだと! そんなばかな!
11月に1回しか書いてなかったからか?
万感なんて10月に1回も書いてないのに……
でも差が1なので、この日記で差はなくなるのです
ふふふ最下位ではなくなるぞふふふ
地の果ては見えず、自然は神のようで、時間は永遠に感じられた。
それほどまでに世界は強大だった。
そうして人は社会を組織した。
個体では敵わない世界に、群体で抗うために。
この方法では一世代で世界に対抗する事はできなかったが、長い時間をかけ知識の蓄積と伝達を重ねることによって、一定の成果を得る事に成功した。
地上を見渡し、自然を理解し、時間を相対化することを可能にした。
こうして世界の絶対性は薄らいだ。
しかし、そのときには社会が肥大化していた。
自分ひとりでは及びも付かない世界と比肩し得るまでに成長した社会はそれ自体が絶対性を有し始めていた。
かつて、人といえば自らの面前にいる存在であったのに、いつしか誰とも知れぬ輩が社会を動かし、人を動かすようになっていた。そうして社会は望むと望まざるとに関わらず、圧倒的な力で個人を屈服させる。
その絶対性ゆえに神の御業とされた世界が、卑小な人間による社会に取って代わられる。
その不条理はそのままに神秘性のみが失われる。
そこに畏敬はなく、不平だけが残る。
こんなに救われない事があるでしょうか。
《今日の一言》
まあ、戯言ですけどねー。 ――Oz(口だけ人間)
ボルヘスの作品に頻出する主題は、あらゆる現象や出来事というのは、無限に近い可能性のたった一通りでしかないということだと思いますが、そのことが殊の外、顕著に描かれるのが、「バベルの図書館」でしょう。
「バベルの図書館」の主人公は、この世で存在し得るすべての文字の組み合わせを羅列した本が無数に所蔵してある図書館の司書という設定で、ほとんど無限にある意味をなさない本から、ほんの一握りの意味のある本を探し出すことの苦悩と挫折が描かれますが、この図書館と司書の関係は、現代と現代人の関係に似ているような気がします。
昔の農村のように、人の意識に於いてもツールの限界に於いても閉塞せざるを得ない状況で、自身の身の回りの情報が、すなわち、自身が知るべき情報であるといったことは現代では当然、成り立たなくなっています。現代では、テレビやインターネットなどを通じて、日々、大量の情報が日常に流れ込んで来ますし、しかもその情報は、ほとんど無限で、しかも個人にとって直接的な意味を持つものは、ほとんどありません。
以前は知る由もなかった世界の膨大さが、ツールの発展によって顕在化しても、それに対峙する人間の能力が今も昔もさほど変わらないのが問題で、目の前にある情報の束を自身の限界によって扱いきれないというのは、認知しているからこそ、酷な話です。
昨日の事です。
僕は普段からバスを利用することが多いのですが、そのときもバス停に向かって歩いていました。
しかしながら少々タイミングが悪かったのか、まだバス停に着く前に通りの向こうを通過していくバスの姿が見えたのです。
正直間に合うかかなり微妙だったのですが、そのバスを乗り過ごすと少々都合が悪かったので、ダメもとでバスを追いかけて走り始めました。
その時です。
ちょうど聴いていたiPodのトラックが切り替わり、あの名曲が流れ始めました。
その曲の名は「激突!グルメレース」
バスとか関係なく、僕はただ走りました。
勝利をつかむために。
というわけで今日のキーワードは「大いなるチャイナの叫び」です。
どうも、こんにちは。
最近、日が沈むのが早くて困ります。
まあ、寒いほうがもっと困るんですけど。
さて、本題。
以下、わかる人にしかわからない話ですが、気にしませんw
少し前からKanonを見ているんですが、昨日、舞の舞踏会のシーンを見ました。
すると、どこかで聞いた事のある音楽が……。
ん? これはもしやチャイコフスキーの眠れる森の美女では? などと思っているとまさにそう。
テンションが上がる俺。
そして、舞と祐一が踊り始めてさらにテンションアップ。
いやー、テンションだだ上がりですよ。
綺麗な音楽に合わせて、美しい少女が踊る。
これに心惹かれない男子がいるだろうか。
まあ、それだけに生徒会長の存在が鬱陶しくてたまらなかったんですが。
明らかに悪者として描かれていたので、そこに怒っても仕方ありますまい。
ところで、Kanonを見ていても思ったんですが、クラシックって結構使われてますよね。
エヴァとかでも使われてましたし。
時の試練は偉大ですね。
《今日の一言》
「オラトリオ」が音楽の形式だとわかる人はどれくらいいるのだろうか ――Oz(説明はできない人)
あの情熱はどこに行ったのか。。。
ということで、以前なら放送しているほとんど全てのドラマをチェックしていた僕もここしばらくのドラマは全く見ていませんでしたが、この秋から放送している「不毛地帯」だけは見ています。
主役の壱岐正役は、「白い巨塔」の財前五郎に続いて、今回も唐沢寿明が演じていますが、フジテレビと山崎豊子が組む際には、もはや欠かせない存在でしょう。いや、財前五郎は田宮次郎だと言う人もいるでしょうけど。
唐沢寿明の演技は、臭い演技に違いないと思いますが、何故か嫌な印象を持ちません。香川照之も同様ですが、名演というのは、その紙一重の差の把握に掛かっているでしょうか。
とにかく、唐沢寿明は好きです。バラエティーの時の俳優らしからぬ発言も好きです。そのぶん、山口智子は大変でしょうが(笑)。
奥さんの壱岐佳子役の和久井映見もこんなにきれいだったのかと感心しています。以前からきれいだとは思っていましたが、懐かしき昭和の女房のしおらしさが彼女を引き立ててますね。
あと、「不毛地帯」に関連(?)してですが、先程、「不毛地帯」と打つつもりが、変換ミスで「歩も打ちたい」になってしまいました。
将棋をやってるとそういう場面に出くわすことが多々あります、ホント(笑)。