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甘々、デレデレ、女の子。
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最近、世間話のように、自分たちが、SとかMだと発表したり、指摘しあったりするのが増えていますが、おそらく、そのうちに本当にSであったりМであったりする人間なんてほとんどいないでしょう。少なくとも僕の基準では、ですが。

僕は、数年前から、「Sは努力、Мは才能」だと考えているんですが、彼らは努力もしていないし、ましてや才能もあるわけではない。ただのファッションとして言ってるだけでしょう。最近何かと、「サムライ」をつけたがるジャーナリズムのようです。

М性の基本原理は、No pain,no gain.つまり痛みなくして得るものはない。精神的、肉体的な苦痛でしか快楽を得られない特殊な人達が、Мなわけです。そういう人間は、「痛いのは、嫌」なんて絶対言わないはずですよね。そう考えると、大抵の人間は、普通なわけで、なら「どちらでもありません。普通です」と言えば、いいんですが、何者でもない、どこにでもいる自分というのをなかなか現代人は受け入れられないですよね。よく自分は、「変態」だという人間も同様です。

逃れられない性質が厳然と身の内にあって、「本当は、嫌だし、もし可能なら生まれ変わりたいんだけど、でも、私はこういう風にしか生きられない」というネガティブなアイデンティティの獲得に僕は憧れます。これは、SとかМとかそういったもの以外にも広く適用される話です。

村上春樹は、『ノルウェイの森』で、その逃れられない自分というのを、「地獄」と呼んでいますが、ぴったりな表現です。

さて、ここまで批判的な態度をとっていましたが、実を言うと、僕は、SとかМとか言い合っているのが、さほど嫌いではありません。それによって、コミュニケーションが円滑に進み、結果として、周りとの連携がもたらされるなのなら構わないのではないか、と思うわけです。

血液型の話もそういった点で評価しますが、ただ やはり、俗説は俗説でしかなく、真実は依然として雲の上にあって、その威光を忘れてはいけないし、俗説に塗れるほど、雲は分厚くなり、いつしかどれほど手を伸ばしても、真実を手に入れられなくなるということでしょう。

そういうこと自体をわかっていないのが、一番の問題ですが。

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